北の注目される役者たち >> 大橋千絵さんインタビュー

大橋千絵さんインタビュー
北海道ゆかりの役者を応援するインタビュー企画。第二回目は、札幌在住の大橋千絵さんが登場。身近な企業CMやラジオドラマなどのナレーター業を中心に、TVや舞台でも活動。2015年の映画「きみはいい子」(呉美保監督)では、尾野真千子さんのママ友・笹岡沙苗役に選ばれ、見事商業映画デビューを果たした。“声”を主体に多彩な分野で活躍する彼女の想いを聞いた。
Text:新目七恵
「きみはいい子」爆笑オーディションから本番まで
―よろしくお願いします。さっそくですが、「きみはいい子」のお話から。ご出演のきっかけは?
出演者を公募する新聞記事を見たのと、シアターキノ代表の中島洋さんからオーディションのお誘いをいただきまして…。
―新聞各社にオーディション情報をリリースしたの、私なんです!
そうですか! 当時フリーになったころで、事務所からの紹介がない分、自分で探そうと思って目に留まりました。また、中島さんから「呉監督の現場はいい」と聞いたのが大きくて。というのも、そもそも私は映像経験が少なくて…。
―意外です。
きちんと役名を頂いたのは2013年のNHKドラマ「極北ラプソディ」に出演したのが初めてです。そのときは慣れない映像の現場でふわ~っとなってしまって…だからなお、「いい現場」を知りたかったんですね。
―なるほど。
そこで原作小説(中脇初枝著)を読んだところ、自分の“頑張りスイッチ”が解除されたような気がして…。
―頑張りスイッチ、ですか。
私は中3と中1の母親でして、仕事以外も毎日忙しいんですね。主人もいるし、土日も子どもの野球の送り迎えや応援があったり。原作を読んだころは、フリーになったばかりで切羽詰まっていたんです。
―といいますと。
現場ではベテラン扱いされるのに、実は映像経験が少なくて、歳も歳なのにそれってどうなんだろう、もっと自信をつけなきゃ…とか。でも、「きみはいい子」の原作を読んだときに、そんな“鎧”を着けた自分に対して「頑張ってるよ」と言われた気がして…今もウルッときちゃうんですけれど(笑)
―私も1児の母なので同感します。
絶対この作品に関わりたい!と思いました。さらに、呉監督の前作「そこのみにて光輝く」を見て、「この監督が今度はどんな映画を作るんだろう」と興味も倍増。ほかの過去作にも監督の“愛”を感じたんですね。それも簡単なものではなくて…。
―確かに、「酒井家のしあわせ」も「オカンの嫁入り」も一筋縄ではいかない内容でした。
長くなりましたけれど、それが応募のきっかけです(笑)。実際、オーディションの一次審査では、監督に大笑いされましたけれど。
―! なぜですか?
ほかのママ友が子どもを怒鳴りつけるシーンの反応を、アドリブで演じたんです。そのときの私の様子が可笑しかったようで…。
―様子、といいますと?
人によっては「動きが固まる」みたいな反応だったようですが、私はビックリしたほかの子どもたちに目配せしたんです。ちょっとおどけた感じで。そこは、実際の子育て経験が生きた気がします。セリフは緊張しましたけれど、アドリブはわりとのびのびできました。
―なるほど。それで二次審査に進まれて。
ほかの方といろいろな場面を演じた後、私だけ残されて、その場にいた呉監督と脚本の高田亮さんから「大橋さんにお願いしたいんですけれど、よろしいですか?」と言われました。
―直接ですか!
あの瞬間は鳥肌が立ちました。嬉しかったですね。
―本番はいかがでしたか?
私が参加したのは2日間。最初はママ友が集まる公園、翌日はマンションのシーンを撮りました。
―思い出深い出来事は?
マンションで、尾野真千子さんとやりとりしたシーンですね。
―バサッと髪をかき上げる仕草がすごく印象的でした。
実は、池脇千鶴さんが私の仕草を真似するシーンを、先に撮影していたんです。
―え! そうなんですか。
尾野さんや呉監督と相談してああいう仕草になったと思うんですが、その演技を見ないまま撮影に入ったので、尾野さんから「もっと!」と言われ、浅野温子さんばりに髪をグワッとかき上げ続けたんです。監督からも「すごく重要ですから」と言われて、もう必死に(笑)
―なるほど(笑)。あの仕草から、大橋さん演じる「笹岡」という女性のルーズさというか、ちょっとした感じ悪さ、生活感みたいなものを感じました。
良かったです(笑)。確かに大切な仕草でしたね。その演技も面白かったですけれど、何より印象にあるのは、現場で監督に「何をしゃべりたいですか?」と意見を求められたことなんです。
―はい。
もちろん台本にセリフはあるんですけれど、「こんな時、どんな言葉を発するでしょうか」と一緒に考え、アドリブ的なセリフもその場で足してくださいました。それが、すごく嬉しかったです。
―なるほど。
ここだけのハナシ、私たち脇役って「本当にスクリーンに出るのかな…」という面もあると思うんです。でも、呉監督は私にも考えさせてくれ、作品を良くするために必要なことは尊重してくださいました。もちろん、ピシッとする瞬間もありつつ。中島さんがおっしゃった通り、本当に素敵な監督さんで、“愛”を感じましたし、自信もいただきました。
(C)2015 アークエンタテインメント
―では、現場で追いつめられるようなことはなく。
全然! 子どもが一緒の撮影だったので色々大変だったと思うんです。炎天下の中、尾野さんや池脇さんも相当体力を消耗したでしょうに、嫌な顔ひとつせず。あの現場にいられることが幸せでした。
―尾野さんとの関わりが多かったと思いますが、いかがでしたか?
メイク席が隣だったんですが、普段は(モノマネ風に)「おはよう~ございます~」とか、チャーミングな方なんですね。マンションのシーンも、私が怒鳴るシーンの前もおもちゃで遊んだり(笑)。でも、いざ本番になると切り替えが早くて、集中力がすごい方でした。
「きみはいい子」試写会での出来事。映画は素敵で贅沢だ!
―小樽での完成披露試写会にはご参加されたんですね。
もちろん。台本は読んでいましたが、短編連作という原作の構成が映画でどうなるんだろう…と思っていたところ、ストーリーが進むにつれ「こうくるんだ!」とのめり込みました。自分の中で…何と言ったらいいんでしょう…うわーっとこみ上げてくるものがありました。特に高良健吾さんが甥っ子にギュッとされるシーンあたりから、ダメでしたね。富田靖子さんのシーンも、思い出したら泣けてきます(涙)
―はい。
実際、私のママ友のなかにも色々抱えながら頑張る女性がいて、ただ寄り添ってあげることしかできない感じのところを、「いいんだよ、そのままでいいんだよ」って包み込んでくれる感覚…そういう映画だなぁと思いました。
―おっしゃる通りだと思います。
公開されてから、私のママ友数人と観に行ったんですね。そのなかに一番下が幼稚園の子という母親がいたんですが、劇場を出て少ししたところで、うわーっと泣き出しちゃったんです。
―突然ですか。
映画を観ている間も泣いてましたが、上映が終わって友だちと笑いながら感想を言い合っていて…そのあとの出来事なんですね。普段は気丈な女性ですが、たぶん心の琴線に触れたんだと思います。
―私も子育て真っ最中で、だからなおさら児童虐待を扱う映画を観るのは怖かったんですが、ビシビシ心に響きました。さりげなく希望を感じさせてくれるラストも含めて、非常に素晴らしい映画だと思います。
人って、深く付き合っていなくても、ほんの一言で救われたり、次につながることってあるんですよね。私も経験があります。だから富田靖子さんが、あの認知症気味のおばあちゃんの「全然いい子じゃない」という言葉にどれだけ救われるか…(涙)
―思い出したら、私まで泣けてきました(涙)
あと、高良さんのクラスのシーンも、突然ドキュメンタリータッチになって!
―驚きましたよね。
やられた!って感じでした。答えられない子も入っていたり。
―可愛くないことを言っても、その表情が良かったり。思わず子どもたちを抱きしめたくなるシーンでした。
色々な要素の積み重ねが、気丈なママ友の号泣のような反応につながるんでしょうね。実は私の主人も、あまり映画の趣味は合わないんですが(笑)、試写会で泣き、また劇場に見に行って人に勧めていたので、よほど気に入ったようです。親としても感じる点があったんだと思います。
―スクリーンで観る自分はいかがでしたか?
役も役だったので複雑な面もあり(笑)、照れくさい気持ちと、「ちゃんと出れた!」という喜びがありました。映画って、ひとつのシーンにこだわり、時間をかけますよね。その取り組みが、なんて素敵で贅沢なんだろう!と実感。同時に、またそういう現場に行きたいという思いが沸きました。
―大橋さんは2010年、シアターキノ・中島代表がプロデュースした子ども映画制作ワークショップ作品「見えなかった幸せ」(舞台:狸小路商店街)に母親役でご出演。2013年には、ワークショップの集大成となるコトニ夢映画制作プロジェクト作品「茜色クラリネット」(坂本優乃監督)にも加藤先生役でご出演されています。中高生たちとの映画現場、いかがでしたか?
羨ましい! の一言に尽きます。
―わかります。
私も中学・高校生のとき放送局だったので、こういうのがあったら良かったなぁ、プロの大人に囲まれていいなぁと思いました。だからこそ、彼らの成長を楽しみにしていたところ、「茜色クラリネット」の制作が始まって。坂本監督は「見えなかった幸せ」にキャストで参加していた子なので、「あの子が!」という驚きがありました。
左から3人目が坂本監督
―それは感慨深いでしょうね。
大人が種を蒔き、ちゃんと栄養をあげてたどり着いたのが、「茜色クラリネット」。だからますます、この後が楽しみです。少しでも、そんな記念すべき作品に関われてありがたいと思います。
小林薫さんから教わった「ここにいるからこそ」
―そもそも、「声」の仕事をしたいと思ったきっかけは?
小学高学年の頃から好きだったんです。4年生の頃、国語の先生が「ゾウのはな子」を読んでくれたんですよ、感情を込めて泣きながら。振り返れば、それが第一のスイッチですね。あと、保護者に札幌の女優さんがいて、宮沢賢治の「よだかの星」を朗読してくれたのが良くて。でも、芝居という発想には行き着かなかったんですね。当然のように中学・高校で放送委員会に入りました
-キャリアのスタートは、街頭放送と伺いました。
はい。大学卒業後、声の仕事をしたくて、街頭放送の会社に入社しました。その後、NHK札幌放送局などでFMパーソナリティやリポーター、キャスターとして経験を積みました。
-1996年からは札幌の「劇団32口径」に在籍されています。
ニュース読みからナレーターなど、いろいろな仕事をさせていただきました。が、肝心の自分がやりたい仕事にはつながらなかったんですね。
―それは。
たとえば、ラジオドラマ。なぜできないんだろうと思ったら、当然ながら局外の役者さんが出演するんです。悩んでいた時、知り合いだった劇団32口径主宰者のMARUさんと再会して、「だったら芝居やればいいよ」と。そこから好きな仕事の方向に進むことができました。
―お仕事のメインはナレーターということですが、たとえばどんな内容でしょう。
長く続いているものだと、セイコーマートの「おいしさフレッシュ!」や大丸札幌店の「ポイントアップ」でしょうか。あと、日糧製パンの「絹艶」のCMとか。ほかにも、さまざまな企業CMやテレビ番組のナレーションなどを担当させていただいているんですが、そのつど、作品に合わせて声を変えるのが楽しいです。
―ずばり、醍醐味は?
作品を作ること。どんな企業のCMでも、その目的に合った伝え方、一番よく伝わる方法を考えて工夫できることですね。たとえば、ふんわりした感じ、おいしそうな雰囲気を伝えたいとすれば、私が参加したことで、よりしっかり伝わるのが楽しい。芝居の目的も同じで、最近出演した劇団32口径の舞台「SMILE」は、殺処分がテーマ。伝えたいことがある。それだけで、私にとっては参加するのに十分な理由です。
―大橋さんの生き生きした表情から、その楽しさが伝わってきます。
札幌マンガ・アニメ学院と札幌ビジュアルアーツの非常勤講師もしていて、声優やナレーター志望の学生たちに教えていますが、よく「楽しいよ~」と話します(笑)
―仕事内容も幅広いですが、実際、肩書はなんでしょう?
確定申告は「役者」です(笑)。
―「ナレーター」というより、「役者」なんですね。
お芝居をしないナレーターさんもたくさんいますけれど、私は「表現する役者」として、ナレーションや声のお仕事をするスタンスでいようと、今は思っています。
―役者としての転機は?
2013年、NHKドラマの「極北ラプソディ」です。実はその前から、「声」の仕事では東京の方とご一緒する機会が増えていて、その傍ら、映像や舞台はあまり意欲的に挑戦できず、自信をなくした時期でした。そこで、「極北」のオーディションがダメなら役者は辞めようと思い詰めていたんです。
―はい。
でも、ありがたいことに合格して、少し背中を押してもらった気がしました。小林薫さんやりりィさんからお話を聞くこともできて。
―小林さんとは映画「海炭市叙景」でお会いしましたが、独特な雰囲気をお持ちですよね。
確かに(笑)。けれど、ちゃんと「小林薫」に見合った筋肉をつけるトレーニングは欠かしていないんです。そんな話を聞かせていただいたり、札幌のある先輩の役者さんの話題から「東京・東京という人もいるけど、『ここにいるからこそ』を続けること、『ここにいること』に価値があるとしてやったらいいんじゃないかなぁ」と言われました。
―素敵な言葉ですね。
りりィさんは、シンガーソングライターと女優をこなす大ベテランですけれど、自信のないことも割り切るというか、変な意味でなく、「自分はこうだ」と役割を決めて自信をつける。私の不安げな様子を感じてか、飲みに誘ってくださってそんな話をしてくれました、二人で酔っぱらいながら(笑)。
―嬉しいですね。
私には「東京の役者さん」と見えていた方々も、それぞれの戦い方をしていて、それぞれのスタンスで腹を決めて作品と向き合っていました。当たり前のことでしょうけれど、そんなことがすべて新鮮で。だからこそ、映画「きみはいい子」のときは緊張せず、やりたいことをやろうと思えたんだと思います。
「伝えること」を続けたい
-今後の目標は。
細々とでも、プレイヤーでいたいですね。
―続けること自体、とても大変で、大事なことですよね。
そのつど感じたこと、伝えたいことを感じられる感受性の持ち主でいたいです。それを伝えていきたい。
―大橋さんは、「伝えること」が喜びなんですね。
そうですね。「自分を見てほしい」というよりは、「この作品は何を伝えたいんだろう」と考えて、「伝えること」に注力しています。
―はい。
年1回、必ず取り組んでいる読み聞かせのリーディングライブも、伝えたい作品がないと始まらないんです。「ここのシーンで、こういうことを感じてほしい!」と思える作品がないと。
―たとえばひとつ、思い出深いものを挙げるとすれば?
うわぁ~迷いますねぇ!
―2つでも構いません(笑)
フリー1周年を記念して、2015年3月、札幌で朝倉かすみさんの著書「田村はまだか」の大好きなシーンを朗読しました。「ヨミガタリストまっつ」こと松本直人さんと一緒に。
―そうですか!
あと、「ありがとう、フォルカーせんせい」という海外の絵本も大切な作品です。難読症の子の話なんですが、あとがきで意外な事実がわかります。札幌の作業所で2回、読ませていただきました。ハンマーダルシマー奏者の小松崎健さんと一緒で、彼の演奏が毎回違うのが楽しくて!
―ジャズみたいですね。
お客さんの感じで変わったり、とても充実したひとときでした。
―ライフワークとしてぜひ続けてください。ちなみに、北海道ロケのお気に入りは?
気になるのは成瀬巳喜男監督の「コタンの口笛」ですね。実は、原作者の石森延男さんは遠い親戚で…。
―え! すごいご縁ですね。
でも映画になったことは、今日北の映像ミュージアムに来て初めて知りました。ぜひ観てみたいです。
―ありがとうございます。先輩ママさんとしても尊敬&応援します!
大橋 千絵(Chie Oohashi)
1992~99年、NHK札幌放送局にリポーターなどで出演。96~2000年、「劇団32口径」に在籍。99~2014年まで事務所に所属し、その後フリーに。役者・ナレーター・リポーターとしてCM・VP・TV・ラジオドラマなどに出演。イベントからウエディングまでMCも。札幌マンガアニメ学院 、札幌ビジュアルアーツ非常勤講師。
主な出演作などは、北海道タレントナビ(http://hokkaido.talentnavi.biz/oohashi/profile)をチェック!
新目 七恵(あらため ななえ)
1982年、北海道帯広市出身。十勝、函館の地域新聞記者を経て、2010年に札幌へ。“三度の飯より映画好き”の性格が高じて、現在、北海道をロケ地とした映像史料を収集・保存・公開するNPO法人「北の映像ミュージアム」に参加する傍ら、フリーのライターとして活動。2014年から朝日新聞北海道版でコラム「お気に入りの小さな旅」を連載中。
●北の映像ミュージアム http://kitanoeizou.net
(ほぼ日更新のスタッフブログ「北の映像ミュージアムの日々」を担当)
●お気に入りの小さな旅
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