~9/27(金)まで延長決定!『Mommy マミー』

映画は、

この社会のでたらめさを暴露しながら、

合わせ鏡のようにして、

私たち自身の業や欲望を映し出す。

和歌山県 毒物カレー事件―

1998年7月、夏祭りで提供されたカレーに猛毒のヒ素が混入。67人がヒ素中毒を発症し、小学生を含む4人が死亡した。犯人と目されたのは近くに住む林眞須美。凄惨な事件にメディア・スクラムは過熱を極めた。自宅に押し寄せるマスコミに眞須美がホースで水を撒く映像はあまりにも鮮烈だった。彼女は容疑を否認したが、2009年に最高裁で死刑が確定。今も獄中から無実を訴え続けている。

事件発生から四半世紀、

最高裁判所に異議を唱える。

本作は「目撃証言」「科学鑑定」の反証を試み、「保険金詐欺事件との関係」を読み解く。「まぁ、ちょっと、どんな味すんのかなと思って舐めてみたわけ」とヒ素を使った保険金詐欺の実態を眞須美の夫・林健治があけすけに語り、確定死刑囚の息子として生きてきた林浩次(仮名)が、なぜ母の無実を信じるようになったのか、その胸のうちを明かす。林眞須美が犯人でないのなら、誰が彼女を殺すのか? 二村真弘監督は、捜査や裁判、報道に関わった者たちを訪ね歩き、なんとか突破口を探ろうとするのだが、焦りと慢心から取材中に一線を越え…。

コメント

この映画はスクープだ。
そして誤解を恐れず言えば、痛切なるエンタメ作品だ。
「執行されてしまったら取り返しのつかないことになる」と思い、調べ始めた
二村真弘監督の取材の深さはもちろん、撮影・構成・編集などの表現力も一級品。
同業者として脱帽、と同時に嫉妬した。

大島 新(ドキュメンタリー監督)

 

衝撃的な「映画」だ。事件の当事者の人々の、語る内容はもちろん、その語り口、声、身体は、こちらの安易な予断を悉く裏切っていく。家族の、親子の、夫婦の、人間の計り知れなさ。膨大な時間の中の絶望と、しかし、それに抗う力を感じた。

押見修造(漫画家)

 

多くの人が「その話はもうやめてくれ」と逃げる。
なぜ、逃げるのか。なぜ、カメラの前で語らないのか。
各人の後ろめたさが渦となり、問いかけてくる。

武田砂鉄(ライター)

 

21世紀もすでに4分の1が過ぎようとしているのに、人間社会にはまだ決定的な「殺めた証拠の判断基準」も「殺めていないことの証明方法」も整っていない。整う見込みもない。恒久的な不完全さを棚に上げて、私たちは何と傲慢で高慢で身勝手なことか。二村真弘監督の端正な狂気はそれを容赦なく炙りだしてゆく。

松尾潔(音楽プロデューサー・作家)

 

マスコミが誰かの逮捕の場面を撮影し報道すると、視聴者はこの人が犯人と確信してしまいます。
警察と組んだマスコミが推定無罪の原則を無視することが冤罪の出発点です。
死刑囚がわずかでも犯人ではない可能性があったら、再審開始すべきです。
『マミー』という映画が多くの国民を考えさせ、より良い司法制度に繋がってほしい。

西村カリン(仏「リベラシオン」紙/「ラジオ・フランス」特派員)

 

もしもあなたが、当時の報道をそのまま信じ込んでカレー鍋にヒ素を入れたのは林眞須美死刑囚に決まっていると思っているのなら、絶対にこの映画を観て衝撃を受けるべきだ。
その後に考えてほしい。自分たちは何を間違えたのか。なぜ思い込んだのか。

森達也(映画監督、作家)

 

あの人が殺(や)ってるしかない――。作中の市民の声は、多くの人々の考えであろう。
事件を一から洗い直した徹底取材が、私たちの固定概念を覆(くつがえ)していく。
誰がやったかではなく、やっていないのかを検証した超絶ドキュメンタリー。

角岡伸彦(ノンフィクション・ライター)

 

あの頃9歳だった自分もまわりの大人も、報道陣に水を撒く林眞須美さんの姿だけを見て、彼女を“悪人”だと判断していた。報道陣が市井の人の私生活を土足で踏み荒らす異常さにも気付かずに。

これは当時“魔女狩り”に加担したすべての人に向けられた反証。メディアが無責任にも放棄したその後の役割を、すべて背負わんとする覚悟と執念が全編に漲っていた。本年の最重要作。

ISO(ライター)

 

不思議な映画だ。何重にも入れ子構造になったテーマが見る者を惑わせる。
冤罪告発、息子と母の関係、不可思議な家族に加えて、監督自身が大きな存在としてせり出している。一度も画面に登場しない林眞須美が真の主役かもしれない。一筋縄ではいかない本作は、ドキュメンタリーのあり方を根底から問いかける問題作となるだろう。

信田さよ子(公認心理師)

 

和歌山カレー事件には被害者、加害者、報道、警察、検察……多くの関係者がいる。それぞれの立場から見え方が異なる事件である。では、自分は当時どう見ていたのか。今はどうなのか。本作を鑑賞後に見方を修正する必要があるのか、どうなのか。自問自答と決断を迫る作品だ。

丸山ゴンザレス(ジャーナリスト)

 

林眞須美の保険金詐欺の「被害者」とされた夫が語る真実が衝撃。警察、検察、マスコミ、裁判官によるでっち上げ。こんなひどい話があるだろうか? ある。今の日本は他も全部、こんな状況だ。取材していた監督が怒りのあまり一線を越えてしまうほどに。

町山智浩(映画評論家)

 

私は何かとんでもない思い違いをしているのではないか。取材中、何度も自問した。
林眞須美は手練れの詐欺師で、ふてぶてしい毒婦で、夫をも殺そうとした冷酷な人間であったはずなのに、取材によって得た事実はそれとは全く違う姿を映し出していた。
これで死刑判決が下されたのか…。空恐ろしさを感じた。

二村真弘(監督)

 

この企画は、いくつかのテレビ局に持ち込んだが「死刑判決が確定している事件を扱うのは難しい」と言われ実らなかった。それなら映画にしようと監督が撮影に入ると、取材先で度々新聞やテレビの記者に出くわした。しかし、彼らは冤罪の可能性について取材していても、大々的に報じることはなかった。死刑判決にこれだけ疑義があることがわかっていて、なぜ。監督の疑問と憤りが、今回の映画の原動力になっている。

石川朋子(プロデューサー)