『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)』
若松孝二監督、並木愛枝さんインタビュー発言集 & 森直人評
以下の文は、2008年4月8日(火)の『実録・連合赤軍』プレミア上映トーク、4月9日(水)の取材インタビュー、キノ映画講座、ATTICでの徹底トークなど、二日間の滞在の中での、本当にたくさんの発言の中からポイントをまとめて、トーク風に構成しなおしたものです。また、森直人さんの短評が、とても的をえているので、併せて紹介します。(構成 中島洋)
映画評論家・森直人さんの批評文
「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」
三時間十分を貫く王道のストロングスタイル。本作について“若松孝二らしい/らしくない”と観た人の印象が割れているのは、モチーフやパッションには変わらぬ刻印が認められる一方、作風としては堂々とオーソドキシーを志向しているからではないか。「幽閉者」では映像に衝突するサウンドデザインを作り出していたジム・オルークも、ここでは画面同調型のロックを鳴らしている。しかしそのおかげで、あくまでカルトの文脈にとどまった足立正生に対し、こちらは若松への予備知識がない客層をも巻き込む力を獲得した“広い”傑作となった。
おそらく、本作で発揮された“若松孝二らしさ”の最たるものは、時代感覚に対する勘の良さだろう。インタビューだと、あくまで連合赤軍に同情する立場を表明する若松だが、実際の映画では、彼の視点は発言よりも遥かに公平で俯瞰的である。森恒夫の体育会系メンタリティの変態的な暴走や、集団心理に翻弄されるメンバーの愚鈍さから、まったく目を逸らしていない。そのフラットな目線は、作風のオーソドキシー志向と、いま現実的に有効な選択という点で明らかに連動している。すなわち若松は“空気の読める”監督であり、そこがイデオロギッシュな体質な人たちとは一線を画すところなのだ。
誤解を招く言い方かもしれないが、本作にあるのは“批評的アプローチ”ではないと思う。それを強く感じるのは、例えばオウム世代に属する山本直樹のマンガ『レッド』などであって、「実録・連合赤軍」が目指した思想的地平は、ひたすら状況把握の“正確さ”だろう。そして僕を含む、学生運動を時代劇と規定した「鬼畜大宴会」の世代は、その“正確さ”こそを知りたかったわけだ。
かつて「赤軍―PFLF・世界戦争宣言」や「天使の恍惚」で最先端モードにいた若松が、80〜90年代を「キスより簡単」や「寝盗られ宗介」でサヴァイヴし、いまこうして、新たな代表作となった叙事詩を撮り上げた。そのタフネスこそ、若松の真に一貫しているかっこよさなのだ。
若松孝二監督、並木愛枝さんインタビュー発言集
■なぜ作ろうと思ったのか
若松監督(以下W) どうしても、この映画を撮らないと、僕の映画人生は終わらない。3年かかって、家や映画館を抵当に入れ、銀行から借金して撮りあげた。
(W)僕の周りの人は、連赤支持の映画と思っていただろう。しかし、僕は事実を描きたかった。どっちにも片寄らなくて、最終的には人間を描きたかった。一部心情的な面(遠山と加藤少年)もあるが、できるだけおさえた。事実をもって語らせることが大事だった。
(W)自分自身も整理したかった。団塊の世代は、連赤の後企業戦士になっていった。結局、壊してばかりで何も作れないできた。彼らに対して、もう一度「あの時代は何なのだ!」「考えろ!」と言いたかった。お前ら、まだ落とし前をつけていないと、皆に言いたかった。歴史的評価をしていないから、余計、今のような悪い時代になっている。
(W)昭和を描くなら、第2次世界大戦とこの連合赤軍であり、この連赤以降、みんな思考停止状態に陥っていった。ドイツに行ったとき、「緑の党」の議員が、「子供には見せたくない映画だ」と言った。僕は「違うだろ、こういう事実こそ見せないと。歴史の事実を隠すな!かさぶたを剥がして血を流せ」と言った。
■役者選びとオーディション、出演者
(W)出演者のギャラは全員同じ、有名無名関係ない。僕は、自分の育ちや経験から、差別が最も嫌いなので、一切差別をしなかった。出演の条件は、3ヶ月拘束で、全期間空けれること。マネージャーなどなしで一人で来ること。服なども自前だった。スタッフも同じく3ヶ月拘束で、ギャラも同じ。
ARATAも坂井真紀もオーディションで来ている。ARATA君は、有名な人と知らなかったが、2次審査の時坊主で来て、やる気まんまんだった。坂井真紀も、どんな役でもいいからと、他のメンバーも要は本気かどうかを見た。ある有名らしい役者もオーディションに来たが、マネージャーがバカで、期間中に2日間仕事を入れてしまい、彼女は、事務所の玄関前に座り込んで、頼むからと言われたが、断った。会えば、僕は涙もろいので、泣いて頼まれるとイヤと言えなくなるので、会わずにスタッフに頼んで断ってもらった。
並木君は、僕がぴあ(PFF)の審査委員長をやった時、廣末(哲万)監督作品に彼女が主演して、その時から永田洋子役は彼女だと決めていたが、オーディションは受けてもらった。
並木愛枝(以下N) ARATAさんは、連赤に大変関心が強く、自身でも本をたくさん読んで、資料を調べていましたが、私は全く知らなかったし、本番まで全く知らないままの人もいて、温度差はありました。でも、監督が私財投げ打って、遺作になっても撮りたいという熱さがビンビン伝わってきて、皆の心が一緒になっていき、絶対に作品を完成させようと熱くなりました。
(N)ここで撮るというところ(春名ベース)に着いたとたん、雰囲気がずっしりと重たく、これはヤバイと、うきうき感が一転しました。衣装に着替えて、リュック持って、並べられた小道具の中から、お前に必要なものを自分で選んで詰めろと言われて、最初はヘラヘラ笑っていましたが、最後の方はそれどころじゃなかった。毛沢東の本は必要だとか、誰もが自分でその状態のことを真剣に考えました。そして、リュックの中も、春名ベースも、作品の中で私たちが生きたのだという現場でした。
■演じてみて、完成してみて
(N)実際に何があったのか、私は全く知りませんでしたが、なぜ日本を良くしようと思った人達がこんなことになったのか、何故なんだろうということを、映画で追体験したように思います。私の母親は56歳で、その年代ですが、思い出したくないと言ってました。彼らが悪そのもののように、私には伝わってきていました。やってみてわかったのは、彼らも同じ人間であり、人間の持つ弱さ、自分にも人を殺してしまう可能性はあるし、被害者になる可能性もある。そのことに気づいて、私は、ずっと自分とは関係ないこと、安全地帯にいて、話したり、見たり聞いたりしていたことだと思いました。人間の普遍的な弱さや、逆に理想を求める、人間の根底を描いたのだと思いました。
(W)僕は、人間を描きたいと思った。坂東国男に、会って、見せたくて、ベルリン映画祭の後に、ベイルートに行って坂東を探したが見つからなかった。岡本公三には会って見せることができた。実は以前、坂東に会ったときに、あさま山荘の内部、中で何があったのかを聞いた。脚本はそれに基づいて書いているので、ほぼ80%は本当のこと。しかし“勇気がなかった”というのは、僕が考えた。山荘の中で坂東が、加藤(少年)から、森と永田に対して、もう止めようと、なぜ言えなかったのかと突き詰められた話を聞き、僕が加えた。若松プロに出入りしていた遠山さんのエピソードもそうだが、彼女が殺されたことへの怒りとともに、なぜこのような仲間殺しをしてしまったのかは、歴史の事実をきっちり積み重ねていかないと、描けないと思った。そうすることが、人間を描くことになると思った。
(W)坂口のお母さんは83歳になるが、東京国際で見て、刑務所に行き、変な映画じゃなかったよ、連赤のことをきちんと描いているよと言ってくれ、坂口が詩を、今回出版された本に提供してくれた。今、一番苦労しているのは親たちだ。その親たちが、やったことは勿論悪いことだが、きちんと描かれていると言ってくれたことは嬉しかった。実名にしたのは、彼らに、やったことに対して責任を取れということと、堂々と戦ったことを歴史の事実として残しておきたいと思ったからだ。「突入せよ!(「あさま山荘」事件)」は許せない。権力の側からしか描いていない。僕は、どうしても撮ろうと思ったのは、このこともある。権力の側からだけではなく、公平な視点で歴史を内側から描けるのは僕しかいないと思った。
■制作中のエピソード
(W)撮影は丁度1年ちょっと前の冬だったが、暖冬で雪が少なく苦労した。しかし、あの吹雪の行軍は、動物的なカンがきた。毎朝起きたら、窓から外を見る習慣だが、その朝今日は雪が来ると感じた。それで、皆に、朝飯も食わずすぐに集めて現場に行ったら、雪が降ってきて、1時間で一気に撮った。ある監督に「凄くうまくCGを使いましたね」と言われて(笑)、「お前はバカか、本物だよ、だから(CGによる)お前はロクな映画を撮れない」と言ってやった(笑)。
(W)編集中に冷蔵庫を開けたとき、冷たさを感じなくて、大島渚監督の時を思い出し、あ、脳梗塞だとわかって、すぐに自分で救急車を呼んだ。これを完成させたら、死んでもいいと思ったけど、まだ死ぬわけにはいかないので、まあ、こうやって、今も体の半分麻痺が残ってるけど、なんとかやっているよ。
(N)役者が、撮影終了後、自分に戻るのに、みんなすごく時間がかかった。今でも「連赤」出演メンバーで、よく飲み会をやっている。初めて完成作品を見たとき、なんでこうやってしまったんだろうと、必死で考えてしまった。それは出演者みんな同じだと思うけど、役として考えているのか、自分に戻った自分として考えているのか、今でもわからない。
若松監督と出会って、役者として、人間として、すごく影響を受けた。人間くささを追いつめて追いつめていう。自分の持ってるものを全て出し切らないと、小出しにしている時間なんかなかった。本当に全力疾走した現場だった。これから、どの現場に行っても、自分は全力でやろうと、あとのさじ加減は監督がやってくれる。そういう気持ちでこれからの役者を歩んでいけると思えたことが、何より嬉しかった。監督とスタッフと、観ていただいた皆さんに感謝しています。
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