映画評論家・森直人さんの批評文
「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」
三時間十分を貫く王道のストロングスタイル。本作について“若松孝二らしい/らしくない”と観た人の印象が割れているのは、モチーフやパッションには変わらぬ刻印が認められる一方、作風としては堂々とオーソドキシーを志向しているからではないか。「幽閉者」では映像に衝突するサウンドデザインを作り出していたジム・オルークも、ここでは画面同調型のロックを鳴らしている。しかしそのおかげで、あくまでカルトの文脈にとどまった足立正生に対し、こちらは若松への予備知識がない客層をも巻き込む力を獲得した“広い”傑作となった。
おそらく、本作で発揮された“若松孝二らしさ”の最たるものは、時代感覚に対する勘の良さだろう。インタビューだと、あくまで連合赤軍に同情する立場を表明する若松だが、実際の映画では、彼の視点は発言よりも遥かに公平で俯瞰的である。森恒夫の体育会系メンタリティの変態的な暴走や、集団心理に翻弄されるメンバーの愚鈍さから、まったく目を逸らしていない。そのフラットな目線は、作風のオーソドキシー志向と、いま現実的に有効な選択という点で明らかに連動している。すなわち若松は“空気の読める”監督であり、そこがイデオロギッシュな体質な人たちとは一線を画すところなのだ。
誤解を招く言い方かもしれないが、本作にあるのは“批評的アプローチ”ではないと思う。それを強く感じるのは、例えばオウム世代に属する山本直樹のマンガ『レッド』などであって、「実録・連合赤軍」が目指した思想的地平は、ひたすら状況把握の“正確さ”だろう。そして僕を含む、学生運動を時代劇と規定した「鬼畜大宴会」の世代は、その“正確さ”こそを知りたかったわけだ。
かつて「赤軍―PFLF・世界戦争宣言」や「天使の恍惚」で最先端モードにいた若松が、80〜90年代を「キスより簡単」や「寝盗られ宗介」でサヴァイヴし、いまこうして、新たな代表作となった叙事詩を撮り上げた。そのタフネスこそ、若松の真に一貫しているかっこよさなのだ。
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