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名古屋シネマテーク会報『百年恋歌』特集から

シネマテーク評論 侯孝賢監督、『百年恋歌』を語る

―――『百年恋歌』は時代も設定も異なる3つの話で構成され、3組の男女が主人公ですが、同じ俳優が演じているということだけでなく、3つの話の男女が似たキャラクターに見えたのは意図したことですか?

「最初の計画では1966年、1911年、2005年の3つの話のうち、'66年を私が撮って、あとの2つのストーリーを2人の若い監督が撮る計画だったんです。でも、それを釜山のPPP(釜山国際映画祭で行われているPusan Promotion Planという企画マーケットのこと)に持っていったんですが、誰も投資してくれる人がいなくて。それで、GlO(台湾行政院新聞局/映画を統括している台湾の政府機関)に持ち込んだんです。そしたら今度は「30万ドル出すが、映画が当らなかった場合の一種の違約金として30万ドルの10%、すなわち3万ドルを支払ってもらうことになる。それでも撮るか?」と言われたので、最初の企画を白紙に戻して、すべて自分で撮ることにしたんです。その段階で脚本を練り直し、80年代の設定だったパートを'05年に変更して、3つとも愛の物語に絞り込んだんです。3つの異なる時代を背景に、身分や立場の違う男女の愛がそれぞれの時代の影響を受けながら、絡み合うことで、どんなラブ・ストーリーになるのか?を描きたいと思い、こういう企画になりました。撮影は'05年、'11年、'66年の順で進めていきました。そして、3つのストーリーを3ヶ月かけて撮影していくうちに、舒淇(スー・チー)と張震(チャン・チェン)の演技もだんだん自然になり、3つの話が上手く絡み合うようになりました。3つの話の人物が同じ人物に見えたのは、たぶんそのせいですね」

―――3つの話を、この並びにした意図は?

「スタイルは内容から決まったものです。'05年のパートを最初に撮影したんですが、スー・チーもチャン・チェンもまだ慣れてなくて、時間もお金もたくさん使いました。でも、'11年のパートではふたりとも慣れてきたので、12日間で撮り終えることができたんです。ただ、ふたりとも'11年当時の古い言葉を練習する時問がなくて、喋れなかったから、サイレントになりました。また、'66年のパートは6日間で撮ったんですが、これには理由があって、チャン・チェンは次の仕事が控えていたし、撮影の李屏賓(リー・ピンビン)も行定勲監督の『春の雪』に参加しなくてはならなかったからです。このように、スタイルは現実的な事情から決まりました。'66年のときは、ふたりの息も合ってきて、とてもリラックスしてたし、私の青春時代の恋愛の想い出なので、自分自身もとてもリラックスして撮影することがでました。それに、ふたりも甘い雰囲気が出せるようになっていたので、このパートを最初に持ってきたんです。そして、'11年はサイレントで遠い昔の話なので、観客のためにはまん中に入れるのがいいのではないかと思って。'05年も重い話なので、観客が慣れてきた最後に入れました。つまり、観客の忍耐力を考えてこの順番になったというわけです」

―――柯宇綸(クー・ユールン/『カップルズ』)がカメオ出演した経緯は?

「彼が出た理由はチャン・チェンの親友で、ふたりでよくビリヤードをやっていたのが縁ですね。“特別出演”というクレジットにしたのは、彼に敬意を表してのことです」

―――各エピソードの原題につく「夢」には、どんな想いが込められているんですか?

「その前に映画全体の原題『最好的時光』には、そのときがいちばん良かったという意味ではなく、それがもう帰らない日々だから美しく見えるという意味があります。過去のひとつひとつの時問は、我々の記憶の中でだけ生き返るもので、記憶の中でもう一度美しかったときを思い出してみようということです。各エピソードについている“夢”は、最良のときの別れ際のひとつひとつの夢。'66年は“恋の夢”。自分が若いときに経験した、ビリヤードのスコア係への淡い恋を思い出して撮りました。'11年は“自由の夢”で、ひとつは日本統治から自由になる夢。もうひとつは、自由の身になり、きちんとした人のもとに嫁ぎたいと願う芸妓の夢。'05年は“青春の夢”。現代の若者に共通してみられる、虚無的、退廃的、消費的な生き方を表しています」

(2005年11月19日、東京国際フォーラムで行われた第6回東京フィルメックス『百年恋歌』オープニング上映後のトークを採録)「取材・構成/編集部」
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シネマテーク評論 安住 恭子

 見終わった瞬問、「視る喜び」という言葉が浮かんだ。そして「そう、確かに今、私はそのことだけのために、この映画を見ていた」と脳が後追いする。実際私は、冒頭から、思わず身を乗り出したのだ。映像だけでドキドキするなんて、稀である。
 ちょっとオンボロのビリヤード場。開け放した入り口の外には、光にさらされた田舎町の街路がある。その室内でチャン・チェンが無心にビリヤードをしている。そのかたわらでスー・チーがうっすらと笑っている。たったそれだけ。それだけなのに、目がぐいと引きつけられて、目が幸せだと感じていた。そこには、恋の幸せがあった。一言の会話もなく、一度も目を見合わせもしないのに、2人の問に幸せな、涼しい空気がある。それが見えた。
 この静けさ、この豊かさは、確かに見覚えがある。例えば『童年往時』の、父親が端然と机に向かって何かを書いていた姿や、おばあちゃんが畑の間の一本道を「大陸に帰りたい」と歩いていたシーン。『恋恋風塵』の、揺れる電車の中で黙って立っていた少年と少女。侯孝賢の映画で忘れられないシーンには、同じ空気と力があった。静謐でいて多弁な、そして清々しい空気。そうか、侯孝賢は、「視る喜び」の監督だったのだと、改めて気がついた。ドラマチックな『悲情城市』にもまた、そんなシーンがたくさんあったではないか。そして今回は、そのエキスだけを集めたのか、と。
 で、侯孝賢がその至福の映像で何を描いているかというと、3つの恋の物語である。3つの恋のたたずまいといったらいいか。第1話は、1966年、侯孝賢自身が青春まっ盛りの頃の恋。ビリヤード場で働く少女とそこに通う若者。恋に恋する年頃の男の子と女の子の出会いの一瞬だ。まだ本当の恋愛になるかどうかは分からない。もしかすると、それは他の誰かでも良かったのかもしれない。そんな始まりのみずみずしさ、ほほえましさ。
第2話は、その半世紀前、1911年の恋。女は遊郭の芸妓で、男は青年文士。彼は革命を志し、彼女は彼に身請けされることを願っている。だが、どちらの思いも実らない。そんな成熟した男女の切ない恋を、なんとサイレント形式で描く。そして第3話は、それから約100年後の2005年、現代の恋である。女は歌手、男はカメラマン。2人にはそれぞれ恋人がいるが、強くひかれ合う。女は右目を失明し、てんかんの持病もあって、絶えず存在の不安を感じている。どんなに抱き合っても、孤独から逃れることはできない。
 この3話の男と女を、チャン・チェンとスー・チーが演じているのだが、二人ともなんと時代の空気をまとい、生きていたことだろう。とりわけスー・チーの女3態のみごとさ。第1話では何も考えない少女を、第2話では、哀しみを胸に秘めて、つつましく優雅で気品にあふれた女を、第3話では、荒廃の時代のヒリヒリするような孤独を生きる女を、それぞれの官能で見せていく。そしてチャン・チェンもまた、恋を追う若者、苦悩するインテリ、そして今どきの芸術家を、ポーカーフェースの中に男の色気を秘めて、魅力的に表現した。
 それを際だたせたのは侯孝賢だ。それも『珈琲時光』の時のようなこれ見よがしに凝った映像ではなく、彼らの胸の内や空気を過不足なくすくい上げる、静謐にして濃密な映像。第2話がサイレントになったのはいろいろな思いからだと思うが、比較的たくさんの言葉を入れながら、その静譜さを保つことも一っだったかもしれない。
 侯孝賢は、その愛の3態を、2つの視点で見つめる。1つは男と女のコミュニケーションの手段だ。彼らは何によって結ばれているのか。第1話は笑顔である。男が女を追いかけ追いついた時の笑顔。この無邪気な笑顔にすべてがある。第2話は言葉だ。男が語る言葉、朗唱する詩、手紙。それが2人の絆であり、それに2人は縛られる。そして第3話では、写真と歌という間接的表現しかない。だから彼らはいくら身体を重ねても、寒々と孤独なのだ。
 そしてもう一つの視点は、鳥のイメージだと思う。第2話の女はもちろんかごの鳥。そして男もまた、かごの鳥だろう。日本の支配から逃れられない時代の子として。これに対して第1話の女は次々と巣を変える自由な渡り鳥。男はそれを追って飛ぶ。そして第3話の2人は、一見最も自由に見えながら、実は飛ぶ力を失った傷ついた鳥だ。彼らはバイクに乗って、狭い都会を走り回るしかない。恋を通して時代と人を描いた侯孝賢が、どの恋を一番愛でているかって?そりゃあ、もう――。
(評論家)