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「いのち耕す人々」  シネマ5支配人田井肇のプログ06年11/10号より

『いのち耕す人々』
Weblog / 2006-11-10 17:08:36

映画とは農である。
僕は、ずっとこう思って、映画館をやって来た。
そもそも僕にとって「生涯の」と呼んでよい重要な映画が、山形に移り住んで自ら農業を行いながら農民(としての日本人)を描いた故・小川紳介監督の『ニッポン国・古屋敷村』(1982年)と『1000年刻みの日時計・牧野村物語』(1986年)であり、小川紳介監督こそ僕が最も影響を受けた映画人である。そんなあたりから、僕の中で、映画と農は、なぜか結びついて離れないできた。

この話をマジメにやるととてつもなく長くなるので、ごくごく簡単に僕の持論をまとめると、こういうことである。
農とは、作物を作ることではなく、作物を育てる土を作ることに他ならない。農とはいい土を作ることだ。いい土とは何か。土中に数多く(何億もの)微生物が生きている土のことである。この微生物が作物を育て、その実りを通して、それを食する人間の体内に入り、体内の毒を退治する。いい土が、人間の健康を作るのだ。そしてさらにその人間が再び土に還り(あるいはその糞便が土に還り)、土中微生物を育ててゆく。そういう循環こそが農である。

さて、これを映画に敷衍するとこうなる。作物とは「映画(作品)」、土とは「映画館」、そしてその土に棲む微生物こそが「観客」である。多種多様な「観客」(微生物)が「映画」(作物)をよりよく育て、その「映画」の実りがさらに多種多様な「観客」(微生物)を作りだしてゆく。映画とは、その循環のことだと僕は思っている。

作物を植える場が「映画館」ではなく「DVD」であるとはどういうことか。数多くても多種多様でない「観客」だと作物はどうなるか。作物をより簡便に育てるための農薬とは、映画において何であるのか。見栄えの良い作物(映画)だけがよいのか。農と映画をスライドさせて考えると、いろんなことが見えてくる。