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 今回、公開される映画「イノセント・ボイス」は、エルサルバドルの内戦下を生きた少年の物語だ。

 エルサルバドルはスペイン語で「救世主」を意味するが、この小国で内戦が始まったのは一九八〇年。左翼ゲリラの運台体ファラブンドマルチ民族解放戦線と政府軍との内戦に、ニカラグア革命(七九年)の中米諸国への波及を恐れた米国が政府軍を支援して介入、「第二のベトナム戦争」と呼ぱれるほどの熾烈な戦いとなった。

 映画の冒頭は、雨の中を少年チャバが処刑場に連行されるシーンから始まる。十二歳になると政府軍に徴兵される…それなら、いっそ左翼ゲリラになった方がいいと山岳拠点に向かったが政府軍兵士にとらえられてしまったのだ。

 が、間一髪で処刑を逃れ国外に脱出した少年はいま米国で、映画俳優として活動している。そのオスカー・トレスが脚本を書き、自らの少年時代を描いたのがこの映画だ。家の中に銃弾が飛び込んでるシーンやチャバが住む地区が火をかけられるシーンに衝撃を受けるが、より心に迫ってくるのは、戦火の中を生きる人々の姿だ。

 チャバが同級生の少女に恋心を打ち明けたり、友達と木に上りマンゴーをとるシーンがある。母親の言うことをきかずにおしりをたたかれたり、家計を助けようとバスの臨時車掌をする場面も。徴兵狩りから身を隠したトタン屋根の上で、ずっと星を数えるシーンはせつなくなる。が、少年は家族や友、まわりの人に助けられながらたくましく生きていく。

 普通の人々の生活の一つ一つを丹念に描くことで、人々が愛し守ろうとしたものが見えてくる。それは、通り一遍の戦争報道からは伝わってこない“生きることの真実”なのかもしれない。


貧しい者が犠牲に

 仕事も満足にない内戦下、誰もが懸命に生きていた。多くの子供たちが、チャバのように市場や下町で働いていた。この国を訪れた当初、私は「人々が本当に戦争を止めようとすれば、戦いは終わるはずだ」と思っていたが、一日一日を懸命に生きる姿に、彼らは人をだましたり出し抜くことなく人生をまっとうに生きているからこそ、世の中や産業構造のしわ寄せを一番に受けているのだと思うようになった。コーヒー、綿花…この国の富のほとんどは、「十四家族」と呼ばれる人々に握られており、不況になれば、底辺の労働者が真っ先に切り捨てられた。それが内戦の背景でもあった。

 エルサルバドルの内戦は十二年間の長きに及んだが、たくさんの少年兵も戦場に送り出された。大きな銃を持っていても、みなあどけなかった。父親が左翼ゲリラであれば、子はゲリラになったし、家が貧しくて食べるものにことかいてゲリラになった子も、殺された親の仇をとろうとゲリラ兵になった少年もいた。チャバの例のように競合地域の住民を自陣に引き込むために、少年が政府軍に徴用されることもあった。が、つねに戦いで血を流し傷つくのは貧しい者だった。
「どうして殺すの」

 元少年ゲリラ兵として十年を山中で戦った若者は、「一度でも戦場に身を置いた人なら、もう二度とそこには戻りたいと思わないはずだよ」と私に語った。戦いの中では、一度として、心から安らいだことはなかったとも話した。この映画を作ったトレスも心の傷から立ち直り、それを描こうとするまでには長い時間がかかっている。

 十二年にわたる凄惨な内戦で、九万人以上の人々が死亡、多くの人が家族や友を失った。中には、家族や友人が敵味方に別れて戦ったケースもある。戦いで傷つかなかった者などいなかった。そのエルサルバドルで、いま、この映画が学校で教材に使われ始めたという。「もうどんなことがあっても、二度と戦争に戻りたくない」という人々の強い思いからに違いない。

 エルサルバドル内戦は九二年に終結しているが、この映画は決して昔を回顧しただけのものではない。今も世界各地で続く戦争で、たくさんの人々が巻き込まれ死んでいく現実への鋭い問い掛けでもある。物語の中で、チャバは「何もしてないのにどうして殺すの」とつぷやくが、その言葉に胸をつかれた。各地の戦争を遠い世界の出来事として、止める努力を怠ってきた私たちに向けられた言葉のように響いたからだ。

 エルサルバドルは多くの湖と火山を持つ美しい国だ。かつて、その大地におびただしい血が流された。同じように戦いを経験した国の民として、私たちはそこから何を汲み取ることができるだろうか。

長倉洋海(ながくら・ひろみ)
写真家。1952年、釧路市生まれ。同志社大法学部卒。時事通信社を経てフリーに。
アフガニスタンなど世界の紛争地域の人々を撮り続けている。写真集「マスード―愛しの大地アフガニスタン」で第12回土門拳賞受賞。近刊写真集に「涙・誰かに会いたくて」(PHP)、「きみが微笑む時」(福音館書店)、「へスースとフランシスコ―エル・サルバドル内戦を生き抜いて」(同)など。