TOP > 全国映画よもやま話 > vol.015


●映画館の時代  玉川薫   (北海道新聞より)

 「小樽・映画館の時代」という企画展を準備しているが、いろいろ驚かされることがある。
映画が発明されたのは1895年のフランスで、その2年後、小樽の演芸場でシネマトグラフ(活動写真)が上映された。
 大正末期には10を超える映画館があったが、小林多喜二の日記には公園館、電気館などで見た映画の感想がつづられている。作品にも映画的手法が取り入れられた。
 戦後、1950年代半ばから60年代初め、小樽の映画館は23を数え、人口比において北海道随一の「映画館の街」になっていた。
 けれども、60年代には映画人気はかげりを見せ始め、70年、80年代に相次いで廃転業、1995年、小樽最後の単独館「小樽東宝スカラ座」が閉館した。
 詩人のSさんは4つの館で映写技師を務め、「映画館の時代」の終幕を見届けた人である。先日、そのSさんが91年に閉まった花園映劇の最終上映の日に8ミリフィルムで撮影したという記録映像を見た。混雑する入り口や客席、映写室のなか、そして映画が終わって暮れなずむ小樽の街に出ていく人たち。そのぬくもりが伝わってくるような映像だった。
 気がつくと「映画館の時代」は幕を降ろしていた。街はかけがえのない場所を失ったのではないか、と今になって思うのである。

(小樽文学館学芸員・小樽)
たまがわ・かおる
福井市生まれ。北大文学部卒。
東京の出版社を経て1979年から小樽文学館に。
ユニークな特別展、企画展を手がけていることで知られる。
同文学館副館長。52歳。

●企画展 小樽・映画館の時代
平成18年2月2日(木)〜4月2日(日)
市立小樽文学館にて(小樽市色内1-9-5/0134-32-2388)
かつて小樽は映画館の街でした。

 映画が発明されたのは、1895年フランス。早くもその2年後の明治30年、小樽の末広座、住吉座でシネマトグラフ「電気作用活動大写真」が上映されています。
 明治42年には活動写真常設館第1号として神田館が妙見河畔に開設。その後、公園館、稲穂館(富士館)、電気館と映画興行専門館が、あいついで開館。大正末期にはすでに10館を数えました。
 ちなみに、小林多喜二はたいへん映画が好きで、大正末ころから昭和初めにかけて公園館、電気館、寿館、中央館などでさかんに映画をみてその感想を日記につけています。代表作「蟹工船」など、彼の作品の多くが映画から大きな影響を受けている、とみられます。
 戦後、昭和31年から36年にかけて市内の映画館は23館に達し、小樽は人口比で北海道随一の映画館の街となったのです。
 けれども昭和30年代半ばには映画人気は陰りを見せ始め、市内の映画館の廃業、転業があいつぎました。56年から58年にかけて、富士館、小樽東映、小樽東宝、電気館、小樽にっかつ劇場があいついで閉館。平成3年、花園映画劇場、6年、小樽中劇会館、そして平成7年(1995)小樽最後の単独映画館、「小樽東宝スカラ座」が閉館し、「小樽・映画館の時代」は、事実上、幕を下ろしました。
 企画展、「小樽・映画館の時代」は、かつて映画館で使われたポスター、看板、時間表、プログラムなどを展示し、往時の映画館の一画を再現します。また小樽でロケーション撮影が行われた映画、小樽出身の映画人、そして、小林多喜二、伊藤整、八田尚之、山中恒、石原慎太郎ら小樽ゆかりの文学作家と映画の関わりも紹介します。
 家族、恋人、知人、あるいは見知らぬ他人どうしが一枚の銀幕に心を集め、ともに笑い、泣き、ときめいた「映画館」という特別な空間が、ひしめくように軒を連ねた時代を振り返り、「街のなかの文化的空間」のありようを、皆さんとともに、あらためて考えてみたいと思います