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 来る一月十四日、僕は十年越しの夢だった小さな名画座の館主になる。東京都心の繁華街にオープンする「シネマヴェーラ渋谷」。弁護士の本業の傍らで、邦画を中心に古典から現代作品、ヤクザ映画、ロマンポルノなど多彩な特集上映を企画していく予定だ。
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新築ビルに3館入居
 弁護士として約二十年問、映画や音楽などエンターテインメント産業の知的財産権などを専門にしてきた。近年では清水崇監督の「呪怨」の日本版、ハリウッド版を製作するための契約書作りなどにかかわった。映画ビジネスをシビアに分析し、助言する立場にあるので、製作や劇場運営の難しさは承知している。しかし数年前、思い立って渋谷のミニシアター「ユーロスペース」の堀越謙三代表にもちかけた。「名画座を作りたいのです。一緒に映画館を作って、運営の面倒を見てもらえませんか」と。
 その後、別のビデオ会社も参加し、円山町にミニシアター三館が入居するビルを新築した。ユーロスペースとシネマヴェーラが十四日、さらにQ-AXシネマが二十八日に開館する。個人的に銀行から少なからぬ借金をすることになったが、「渋谷に名画座を」という気持ちは揺らがなかった。
 四十七歳の僕と同じか少し上の世代であれば、名画座に通い詰めた経験をお持ちの方は多いだろう。高校生のころには定期試験が終わると、かつて渋谷にあった全線座などに立ち寄った。たとえばそこで見た、二枚目俳優のトニー・カーチスとジャック・レモンがカーレースを繰り広げる喜劇「グレート・レース」(65年)に、テストが終わった壮快感を重ね合わせたりしたものだ。
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映画ざんまいの日々
 東京大学に入学後、さらに映画にのめり込むきっかけになったのは蓮實重彦先生の講義だ。授業では大概、公開中の映画を見ておくように指示される。ある時、スピルバーグ監督の「未知との遭遇」(77年)を鑑賞して授業に臨むと「撮影監督がだれだか、記憶にある方は?」と質問が飛んだ。学生が答えに詰まっていると、先生は一九三〇年ハンガリー生まれの撮影監督ヴィルモス・ジグモンドについて語り始めた。ハリウッドの立役者の多くが移民だった事実に話は及び、ドイツ出身で二十―四十年代に「ルビッチ・タッチ」という言葉を生み、都会派コメディーで鳴らしたエルンスト・ルビッチヘと飛び、また同じくドイツ出身のサスペンス映画の巨匠フリッツ・ラングやイギリス出身のヒッチコックヘと続く。映画の底深さに畏怖する思いがした。
このころは年間三百五十本、浴びるように映画を見ていた。すでに閉館した銀座の並木座、大井武蔵野館、三鷹オスカーや池袋文芸坐。今も残る京橋の東京国立近代美術館フィルムセンター。ニューヨーク大留学時にはビレッジ地区にあったサリア・ソーホーにも通い詰め、僕は名画座に育てられたといってよい。
渋谷を拠点にしたのは、若い人たちに足を運んでほしいからだ。プログラムが週ごとに入れ替わり、二本、三本立てで見られる名画座は学生らのたまり場だった。ところが、今の観客のほとんどは中高年層。このまま
では十年、二十年後に名画座、そしてミニシアターの類は消え去ってしまいかねない。
「映画がわからない」若者の存在も気になる。ある劇場で映画を見終わった時、若い女の子たちの会話にショックを受けた。「結局彼は死んだの?生きてるの?」。映画の初歩的な言語を知らず、ハリウッドで大ヒットした中国の娯楽作品でさえ理解できないのだ。若者でにぎわう場にDVD派の映画ファンにはライブ感あふれる劇場体験を楽しんでほしい。サスペンス映画で「あっ」と声が上がり、真っ暗闇の劇場全体がどよめいたりする。高倉健が主演する東映の「昭和残佼伝」シリーズの出入りの場面で「行けっ」などとスクリーンにかけ声が飛んだことなどは名画座での楽しい記憶だ。
シネマヴェーラ渋谷では開館から四週間は北野武が監督や主演した二十四作品を特集する。原作を書いた「浅草キッドの『浅草キッド』」(02年)は劇場初公開だ。第二弾は映画の申し子、マキノ雅弘監督の、ニュープリント七本を含む「次郎長三国志」全十三タイトル。学生の入場料は特別に安くしたつもり。若者でにぎわう名画座を目指したい。

(ないとう・あつし=弁護士/ニューヨーク州弁護士)