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2004文化庁映画週間
<ディスカッション>
「地域における上映―上映する側と配給する側」の一部を抜粋

1. コミュニティシネマとは  松本正道(コミュニティシネマ支援センター運営委員長)

「コミュニティシネマ」については、まだ議論がなされている段階であり、必ずしも認識が一つにまとまっているわけではありませんが、現状を簡単にご説明したいと思います。

コミュニティシネマという概念についてこれまで様々な説明の仕方をしてきましたが、私は、官と民が協力して地域社会で多様な映画が上映される場所を確保することだと考えています。多様な映画が観られる場所としては映画祭がありますが、映画祭は短期集中型のものです。それに対して、コミュニティシネマは、日常的に1本1本の映画を丁寧に観ることができる環境をつくり、地域に密着した恒常的な映画上映の場を実現するという考え方で成り立つものです。

その背景には「地域文化の危機」という問題があります。中心市街地が空洞化し、その流れの中で映画館が相次いで閉館していくという状況です。その一方で、シネマコンプレックス(以下、シネコン)の登場によってスクリーン数は増加しましたが、必ずしも上映作品は多様化していない状況です。上映される作品が多様化していないので、将来に渡っても柔軟な鑑賞能力を持った観客層が育っていかないであろうと懸念されます。つまり、私達は、上映される作品の一極集中の加速化により、結果的に映画人口が減少していくであろうという認識を持っています。

更に、上映環境の地域間格差の拡大という状況があります。映画を観られる地域と観られない地域の格差が広がり、映画館で1回も映画を観たことがない人もいる地域が出てきています。また、映画・映像に関する社会教育が不足しているという考えがあります。19世紀末にできた映像は100年以上の歴史を持っていますが、映画・映像を上映している公共の映画鑑賞施設が不足していると考えます。公共の美術館や図書館はあるのに、公共の映画館がないというのは問題があるのではないかという認識です。

コミュニティシネマの目的は、先程申し上げたコミュニティシネマの概念が生まれた背景に照らしていくと、「地域文化を活性化していきたい」ということ、そして「文化の地域間格差を是正していきたい」ということです。日本のどの地域にいても、映画体験を共有できる環境をつくり、映画の多様性を確保していきたいのです。また、ご年配の方々のコミュニティや若い人達がつくるコミュニティ等、様々なコミュニティがあると思いますが、各コミュニティの人達に対して上映機会を拡大していきたいと考えます。先程の「映画祭の新しい試み」というプレゼンテーションで、若年層への映像教育の例が発表されましたが、幅広い年齢層の市民に対する映画・映像教育を、「コミュニティシネマ」の名の下に、できることから実践していきたいと考えています。

コミュニティシネマには、既存の商業的な上映活動において不可能であることを可能にしていくという大きな役割があるので、組織形態としては非営利活動法人(NPO)が考えられます。そうでない形もあると思いますが、NPOという組織形態が最適であろうと考えています。そして、コミュニティシネマの施設としては、第一に、既存の施設を有効活用していきたいと考えています。つまり、地域の映画館、あるいは公共ホール、公民館、図書館、美術館、学校等、自分達の身の回りにある施設を有効に活用することで、多様な映画を観ることができる上映環境をつくっていきたいのです。既存の施設がない場合は、新しい施設をつくるという方法もあります。2004年12月には高崎市にコミュニティシネマが運営する映画館「シネマテークたかさき」がオープンします。また、このパネルディスカッション会場であるオリベホールは、岐阜県が出資してつくられたホールだと思いますが、ここも一つのコミュニティシネマの場として少しずつ使われています。2004年8月には「ダンス・イン・シネマ」という特集上映が行われていますし、数年前には「ポルトガル映画祭」が開催されたりする等、多様な映画と出会える環境になっています。

私共、コミュニティシネマ支援センターとしましては、少しおこがましい言い方ですが、映画会社の方々と共に映画観客を育て、増やしていきたいと考えています。その第一歩として、将来を見据えた無理のない配給側と上映側の協力関係をつくることができればよいのではないかと思っています。

2. 多様とは? 田井肇(大分・シネマ5支配人)

最近考えるのは、「多様であることは良い」と言った時の、「多様である」とは一体どういうことなのかということです。例えば、ある時期においては、輿行収入ベストテンの1位と2位の合計で、マーケットの70%を占めているということは当たり前のようにあります。3位までで70%以上、80%に届くこともあります。4位以下の作品が27本あったとして、その残りの27本でようやく20%の輿行収入を分け合っているという状況です。つまり、上位30本を考えてみると、現状では、下の15本程は興行収入の1%にも満たない作品がひしめき合っているという状況だと思います。他方、例えば、興行成績1位が市場の20%を占め、2位が15%、3位が10%、最下位である20位でさえ2%という20本の作品が並んでいる状況があるとします。その二つの状況を比べ、どちらを多様なのかと考えた時に、数が多いことが多様であるならば30本の作品がある方が多様です。しかし、私はむしろ最下位の映画でさえ、2%の人か観ているという20本の方がより多様な感じがするのです。

私は、現在は映画館をやっていますが、映画祭を運営していたこともありました。映画館と映画祭の一番の違いはどういうことだと思いますか。映画祭は、日常的には上映が行われていないゼロの状態の中で行われるものなので、ある意味で何をやっても歓迎され、喜ばれるということがあります。例えぱ「内田吐夢の特集をやります」と言うと「それはすごい」という反応が返ってくるわけです。しかし、映画館の場合は「内田吐夢をやります」というと、「内田吐夢を上映するのに、なぜ成瀬已喜男を上映しないのか」と言われてしまうのです。つまり、映画館というのは、日常的な上映の環境として漠然と想定される、あるべき完壁な状況のようなものがあり、常にその状況からポイントをマイナスする形で量られてしまうのです。「これを上映できるのであれぱ、あれを上映できるのではないか」、「これはどうして1週聞上映なのか」、「どうして1日に1回の上映なのか」、「どうしてサービス料金じゃないのか」、「どうしてドルビーデジタル音響じゃないのか」等、上映する度に、やっていないことを指摘されます。

地域格差をなくしたいということは確かに理解できますが、どうも我々が相手にしているお客さんは、こんな田舎の都市に東京と同じだけの映画環境が訪れるまでずっと文句を言ってくれるのかしらと思ってしまいます。褒められたり、感謝されたりしたいわけではありませんが、映画祭では、映写が失敗したり、音響がドルビーステレオではなくても観客から指摘されることはあまりありません。我々映画館は、常に「もっと多様にできるのではないか」という強迫観念によって動いているところがあります。

司会/佐伯知紀(文化庁芸術文化調査官)
確かに、「多様性は良いこと」だという前提でコミュニティの活動を進めてきている面があると思います。これについて、松本さんはどうお考えでしょうか。
松本
東京においても全く田井さんと同じ状況で、海外の映画事情に詳しい人達から「なぜこの作家をやって、これをやらないのか」とか、「なぜ字幕をつけてやらないのか」等と常日ごろ言われている状態です。私は、それは恐らくこういった活動に対する期待だと思い、それをありがたく受けとめています。

多様性とは何かを考える時に、まず一つとして古典映画から現代の最前線の作品まで観ることができるという製作年代の多様性があります。その時代の商業的な映画状況の中では流通しない映像は時に非常に魅力的だということを、私は東京国立近代美術館フィルムセンター等で映画を観ながら感じていました。私は常に、現在の映画状況の外にまた別の映画表現があるということを、少数の観客に向けても発信していきたいと思っています。ある現役の映画作家の方にお会いした時に、「70年代の中頃にアテネで上映したジャック・リヴェットを、5人か6人という少ない観客の一人として自分は観ていました」というようなことを言って頂けると、「ああ、やっていてよかったな」と思います。これは反論になっていないかもしれないですね。

佐伯
松本さんがおっしゃった、「流通外」というのは、基本的には古典映画や旧作のことでしょうか。

松本
「流通外」というのは、常に海外のことをイメージしがちですが、もちろん日本の古典映画もそうですし、もしかすると古典とまではいかない旧作というのもあります。それから、我が国の若い映画作家がつくった作品でも十分に流通していないものがあります。